先日とあるSNSの、子育て・育児に関するコミュニティーに加入したのですが、そこでとてもびっくりする出来事がありました。
今日はそのお話。
卵アレルギーでしょうか?
ちょうどそれは離乳食時期のお子さんを持つお母さんの投稿。
「先日卵を食べさせたら、口の周りが赤くなったんです。病院に連れて行ったら、アレルギー体質かもねって言われて。どうしたらいいですか?」というもの。
そこで私は、「あ〜アレルギーの専門小児科にいかないとだなぁ」と思いながら続きを読んでいました。
するとそこには大量のコメントがついているのです。
「こうやって食べさせたらいいですよ」
「心配ですね」
「うちはこうやって克服しました」
などなど。
これを見て皆さんはどう思いますか?
相談にのること
この相談者も、困っていることを解決したい。
そしてこのお返事をした方も、参考になればと善意でお答えしているのが伝わりました。しかしわたしはこれをみて、とても怖いことだなと感じたのです。
だって、アレルギーです。アレルギーの中でも卵は重症の場合、命に関わります。安易に専門家以外の人が誤った知識でアドバイスしたことをもし実践された場合、そのお子さんはどうなるんでしょうか?ひどいアレルギー症状を引き起こす可能性があるのです。そして一歩間違えれば…?
そう思うと、安易なアドバイスはできないのです。
相談に応えてくれる人がいる
なんでこんなことになっているんだろう?としばらく考えていました。
そもそもアレルギーがそれほど怖いもの、という感覚が広まっていないのかもしれません。ちょっと痒くなるだけじゃないの?とか、食べて慣れるうちに治るんじゃないの?というイメージの方もいらっしゃるのかもしれません。
またこのコミュニティーには、これ以外にも沢山の相談が寄せられていました。
「妊娠8ヶ月ですが出血しました。大丈夫でしょうか?」
「子供が3歳なんですが、言葉をあまり話しません。大丈夫でしょうか?」
「4ヶ月の子供が、音を鳴らしてもそちらを見ません。大丈夫でしょうか?」
これらの相談はもちろん、なんの問題のない、些細なものがほとんどなのかもしれません。けれど、その裏に大きな問題が隠れている可能性も十分にあります。
専門家にこんな相談が寄せられた場合、この短い文だけでは何も判断できないので、これまでの経過を確認したり、適切な検査をおこなった上で異常の有無を判断をします。
けれどSNSの中の小さなコミュニティでは、この短い相談文だけで、沢山のアドバイスが寄せられます。これが本当に良いことなんでしょうか・・・?
誰に相談すればいい?
上記の相談を読み返すと、それぞれ専門的な返答が出来る専門家がいるはずです。
けれどもこの相談者の方々はもしかしたら
専門家の存在を知らないのかもしれない。
どこにいるかを知らないのかもしれない。
行けない理由があるのかもしれない。
行けるけれども相談しにくいのかもしれない。
なにかを相談するときって、人はとてもエネルギーを使います。専門家って、ちょっと敷居が高い。けれど近い知人となると、あけすけに相談しにくい。他人だけど気軽に聞ける場所にSNSのこういったコミュニティーがあるのかな?と感じたのです。
専門家は必要か?
自分で言うのもおかしいのですが、一応専門家として仕事をしている身として思うのが、「専門家がいるせいで、専門家に会えない」という矛盾。
私は専門家とは言っても、その世界ですごい実績があるわけでもないので、普通のただの一般的な言語聴覚士に過ぎません。けれど、言語聴覚士の中には、「〇〇についてのプロフェッショナル」「△△の第一人者」という方はたくさんいらっしゃいます。これはどの専門職にも言えることで、その専門職の中でも特別プロフェッショナルな方々がいらっしゃるのです。
しかし、そういうプロフェッショナルが生まれれば生まれるほど「素人には手を出せない」という雰囲気も生まれます。
すると私のような、専門職ではありながらもそこまでのプロフェッショナルさがない人間としては、その領域には近づかないようになるのです。つまり「すごいプロフェッショナルな人」の存在により、その手前にいる「ちょっとした専門家」や「プロフェッショナルを目指す専門家」の絶対数が減って行くのです。
そしてその流れは、専門職以外の圧倒的多数の方々へ影響します。だってそういう「すごいプロフェッショナルな人」には、そうそう会えるものではない。そして、その一歩手前の「プロフェッショナルを目指す人」などの、知識のあるプチ専門家の数も増えないから会えない。
こうして「専門家がいるから、専門家に会えない」という流れが生まれるのかなと感じるのです。
おばあちゃんの知恵袋
昔はいろんな専門家がいたわけではありませんから、わからないことはおばあちゃんに聞いたりしていました。知恵袋ですね。
しかし、いまは日本全国どこにいてもスマホを開けば情報をだれでも調べることができていて、おばあちゃんの知恵袋を信用するよりGoogleに聞くほうが良いみたいな傾向があります。そうなると、このスマホを見るみんなが、より「プロフェッショナル」を求めるようになり、おばあちゃんの知恵袋のニーズが減っていきました。
おばあちゃんの知恵袋があったころは、相談窓口ってもっと身近だったのに、プロフェッショナルの存在により、それがどんどん遠くなる。
おばあちゃんの知恵袋って、実は必要だったんじゃないかな?
おばあちゃんが孫や近所の子に語り聞かせるお話がまた誰かに伝わり、そうして地域全体が、みんなの悩みを解決できるような土壌になる。特別な専門家がいなくても、地域全体で悩みを解決できるようになる。
本当はこれが沢山の人を支えることができる仕組みなんじゃないだろうか?
プロフェッショナルは必要か?
もちろんプロフェッショナルは必要です。どうしてもプロの手を使わないといけない場面は存在しています。けれど、必要なのはそこだけではないのです。
わたしたち専門職の役割って、プロフェッショナルを極めることなのかな?
私達の専門知識を、一般的にしていくこともプロのあり方ではないのかな?
誰かにしかできないことではなくて、誰にでもできることにしていくことがプロとしても必要ではないのかな?
プロしかお米を育てることができないなら、毎日のご飯もつくれない。けどだれでもお米が作れるように地域で仕組みを作ったから、どの家庭でも毎日おいしいご飯が食べられる。
専門性を極めたプロフェッショナルと、一般に「誰でもできる」を追求するプロフェッショナルと。どっちも必要で、どっちも尊重され、どっちも対等なのです。
冒頭のSNSのお話もまさにそう。皆が等しく「だれでも相談にのれる」を私達専門職が作っていれば、あのコミュニティの中でいろんなことが解決する。どうしても専門性の高い方の判断が必要なときは「〇〇さんに相談して」と教えてもらえる。
素人とプロフェッショナルに壁を作るのではなく、素人だけで解決できることを増やす。そういうものがこれから先は必要となるのかな?なんて感じたSNSでの会話。
そう、わたしはいつもそう。自力で解決するのを支援する。「個別」に解決するんじゃない、「戸別」で解決すればいい。なんなら「拠別」なんて新しい言葉作っちゃって、そこで解決できればいい。
プロフェッショナルじゃなきゃ解決できないことを減らす。だれでも解決できることを増やす。
びぃどろの役割は、それをつくるプロフェッショナルでありたいのです。
【長岡菜都子(だんらんコーディネーター)】
リハビリテーション専門職である言語聴覚士の国家資格を所有。病院勤務を経て、訪問看護ステーションに入職。以後12年間で、訪問リハビリテーションを学ぶ。対象は乳幼児から高齢者まで幅広く、病気や障害を抱えながらも、にいかにして家族とともに充実した温かい生活を送れるかにこだわり、支援している。
現在は病気や障害を抱える当事者に対し、『個別』ではなく、家庭や関係施設へ『戸別』に訪問し、主に「はなすこと」「たべること」に関する、赤ちゃんの育み支援、こどもの学び支援、成人・高齢者の生活支援を行っている。
その他、医療・福祉・介護・教育施設等への外部講師等も行い、「はなすこと」「たべること」のバリアフリーを目指し活動中。
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