最期までのカウントダウン

先日、難病のAさんのご家族から相談を受けました。

ご相談者様は奥さま。Aさんが通所に行かれている最中に電話をくださいました。なにやら深刻なお話の様子。ちょっと近所に仕事で出た際に、ご自宅へ立ち寄ることにしました。

ご自宅へ伺うと、奥さまとお嫁さんがいらっしゃり、お話をすることになりました。今日はそのお話。

特養を申込む?

お話を伺うと、ちょうど先週ケアマネさんが来られたとのこと。そこでケアマネさんからこんな提案が。

「特養の入所の申し込みをしておきますか?」と。

特養とは特別養護老人ホームのこと。これは、介護老人福祉施設とも呼ばれ、公的な介護保険施設の1つです。在宅での生活が困難になった要介護3以上(特例の要介護1・2)の高齢者が入居でき、原則として終身に渡って介護が受けられる施設です。民間運営の有料老人ホームなどと比べると費用が安いのが特徴です。

申し込んだからと言っても、希望者が多いことからすぐには入所できないということもあり、「まだ入所なんて早いんじゃない?」と思えるような段階でも、申し込みの準備をしないといけないという現実があります。

さて、そんなご家族の想い。どう受け止めるべきでしょうか?

自分の最期をどう決める

みなさんは自分の最期ってどう決めるのがいいと思いますか?

もちろん事前にどれだけ考えててもその通りになるわけ無いじゃん、という思いが先行すると思うのですが、それでも誰が考えるのかというと、自分で考えるしかないわけです。

え?でも死に際ってそんな相談できないじゃん?という疑問もわかります。けれどまあぁ、そんなギリギリのときのことではなく、人はいずれ最期を迎えるわけで、その最期に向かってどうしてほしいか・どうしたいかということは考えておき、なるべくそれに沿った人生を歩んでほしいと思うのです。

そうなると、自分の理想の最期を迎えるためにやって置かなければならないことって案外シンプルなことが多いと思うんです。

つまりは自分の最期について日頃から考えておくこと、そしてそれを誰かに伝えておくこと・共有しておくこと。

この誰かはやはり、ご夫婦なんじゃないのかな?

あなたの本心を

Aさんのご家庭の場合、お嫁さん(つまりま息子さん家族)が近くに住んではいるものの、共働き家庭ということなので、介護などはご夫婦の間で行うことになります。

実際Aさんは訪問サービスや通所サービスを利用しながら、ほぼお嫁さんからのヘルプは無しで生活されています。

特養を申込むということは、Aさんはいつか入所する、ということを指します。この「いつか」というのがいつなのか?それを考えなければいけません。

たとえば、「自分でトイレにいけなくなったら?」「自分でお風呂にいけなくなったら?」「ご飯が食べられなくなったら?」こんな感じでしょうか?でも、よく考えてみてください。Aさんは難病です。進行性のご病気ですから、日々刻々と変化していきます。また昨日できたことが今日できない、ということはもちろんですが、今日できなかったけど明日できる、という場合もあるんですね。

そうなると「◯◯できなくなったら」という基準だけでは、結局踏ん切りがつかないことが多いのです。

たとえば脳梗塞のように「◯月◯日に急にできなくなった」というなら、その日からケアの仕方がかわるのは当たり前です。けれど、進行性の病気の場合、ある日を境にできなくなるということがはっきりとしないため、基準が見つけにくい。

そう、結局は入所を視野に入れた場合、タイミングを図ることが難しいのです。

ということは、何を基準に決めたらいいんだろう?これの答えが結局の所「あなたの本心」なのです。

家と施設と病院と

誰もが自宅で過ごしたいと願っています。自ら率先して施設や病院で過ごそうとする人は殆どいないと思います。

しかし自宅で介護し続けることの大変さがあるのは事実。在宅で介護を続けるためには、在宅サービスを充実させないといけません。そのためには毎日ヘルパーさんが出入りすることに慣れるという二次的な問題もあります。主婦の場合、人が毎日出入りすることは結構ストレスが溜まるものです。それが介護疲れや睡眠不足と重なった場合はもっと辛いですね。

だからこそ、話し合わないといけない。あなたがどうしたいのか。

家庭で介護を続けるなら、それに必要なサービスを入れる。そのかわり、在宅サービスが増えるから、その負担を受け入れられるか。

逆に入所を選ぶ場合、介護の負担はなくなるけれど、入所による環境の変化で、Aさんの能力などに変化があっても、それを受け止めなければならないということ。

「そんな難しいこと決めるのか・・・」と奥さま。

難しいことですが必要なことなのです。

最期までのカウントダウン

とはいえ、これって難しいことではありますが、不幸なことなんでしょうか?

何となく感じるのですが、急に脳梗塞や心臓発作などで、事前に話し合うこともできず介護をどうするかという究極の選択を求められ、望んでいない医療的ケアをすることになる場合も多々あるのが実際の医療現場です。

そうなると、こうして最期までの時間をじっくり夫婦で話し合えるって、実はすごい幸せなことなのではないでしょうか?

人はきっかけがないと、なかなか「死」について人と話すことはできません。だからこそ、ある日突然の出来事では間に合わない。けれど、進行性の病気の場合、時間をかけて話し合うことも案外出来るのです。

もう1度考えてみましょう。人はだれもが必ず最期を迎えるのです。

そしてそれに直面したときにだけ、最期までの道のりについて考えることがほとんどです。

そうなると、直面しながらも、その道のりを歩む時間がゆったりとある夫婦の場合、辛いながらもお互いの本心を話し合える時間も、ゆったりと有るということなのです。

Aさんの決断

このことをAさんの奥さまとお嫁さんにお話し、私はご自宅を後にしました。Aさんご夫婦がどのような結論を出したのか、または出すのかはまだわかりません。けれどそのときどきのご夫婦の判断を見守ろうと思います。

さて、私も夫婦でそんな話してみようかな。

案外私はそう言うのに熱心に話せる方なのですが、私の夫は苦手。だからこそ、たまには腹割って、お酒でも飲みながら、お互いの生き方・死に方について語ってみるのもいいものかな?って思います。

あなたの人生はあなたのものなんだから。

【長岡菜都子(だんらんコーディネーター)】
リハビリテーション専門職である言語聴覚士の国家資格を所有。病院勤務を経て、訪問看護ステーションに入職。以後12年間で、訪問リハビリテーションを学ぶ。対象は乳幼児から高齢者まで幅広く、病気や障害を抱えながらも、にいかにして家族とともに充実した温かい生活を送れるかにこだわり、支援している。
現在は病気や障害を抱える当事者に対し、『個別』ではなく、家庭や関係施設へ『戸別』に訪問し、主に「はなすこと」「たべること」に関する、赤ちゃんの育み支援、こどもの学び支援、成人・高齢者の生活支援を行っている。
その他、医療・福祉・介護・教育施設等への外部講師等も行い、「はなすこと」「たべること」のバリアフリーを目指し活動中。