難病も数多くありますが、その中には遺伝による難病も多く含まれます。今日はそれに対しての雑感です。
Aちゃんに会う
私は時々支援学校へ、外部講師として介入することがあります。その際にはクラス全体や学年全体の児童さんを見せていただくんですが、中にはすでに自分が担当していて、よく知っているお子さんもいらっしゃいます。
ある指導の日に、受け持ち児童の教室へ伺った際、見覚えのあるお子さんがいました。昔、近所に住んでいた子でした。
Aちゃんは、ちょっと変わった子でした。明らかに知的発達に遅れがあり療育を受けているのかな?と思える、そういうお子さんでした。
その後私は市内の別の地区に引っ越したので、Aちゃんのその後を知ることはありませんでした。そしてAちゃんと久しぶりに学校で再開したのです。
あの子、大丈夫?
給食評価に介入していたため、学校の給食を見学し指導していると、横で激しくむせているお子さんがいました。Aちゃんです。ちょっと嫌なむせ方だったので慌てて対応をとり、ことなきを得たのですが、担任の先生から話を伺うと、どうやら進行性の難病で、徐々に悪くなっていて心配されているとのことでした。
Aちゃん、大丈夫かしら?
Aちゃんの病気
Aちゃんの病気は非常にまれな病気で、数十万人に1人でしか生まれないものだとわかりました。また進行性で、最終的には死に至る病気です。現在は治療法があり、進行速度を遅くすることができるようになってきましたが、あくまで進行を遅くすることが目的であり、根本的な治療にはなりません。またその治療を受けられる条件が整っている人も少なく、非常に難しい病気でした。
そしてこの病気は、遺伝性の病気なんです。また、性染色体による遺伝性の病気であることから、男性は発症し、女性はその遺伝子を引き継ぐ形になります。
ちょうどAちゃんのご家庭は、おじいちゃんが「ちょっと変わった人」と周囲から言われており、早くに亡くなったとのことでしたので、きっと同じ病気だったのだろうと考えられます。
そしてそれがAちゃんのお母さんへ遺伝し、お母さんは女性であることから発症はせず、その遺伝子がAちゃんへと遺伝。Aちゃんは男児ですので、同じ病気を発症した、ということでした。
Aちゃんの療育
Aちゃんは上記の「進行を遅くするための治療」を受けられる対象児だったこともあり、定期的に大学病院へ受診し、治療を受けていました。Aちゃんの命を繋ぐため、ご両親はそれは熱心にされていました。
Aちゃん自身の病気がなくなることはないとしても、できる治療を受けて、命をつないで欲しい。そうしているうちに新しい薬が発見されるかもしれない。そういう思いもあったと思います。
その努力のかいもあり、Aちゃんは同病のお子さんの平均的な状態に比べ、順調に過ごすことができていました。
お母さんとのお別れ
しかしそんな中、Aちゃんの家を急な不幸が襲います。
Aちゃんのお母さんに癌が見つかったのです。しかももう治癒は見込めないほど、病態は悪化していました。お母さんは自身の治療や入院があり、ご家族もお母さんの治療のために病院へ通います。
しかしAちゃんは上記の大学病院へ定期的な治療を受けなければいけません。Aちゃんとお母さん。どちらも大事。ご家族は必死になって二人の治療に全力で取り組んでいました。
家族の負担が限界に近づいた頃、お母さんの主治医の先生がAちゃんの状態を知りました。そして大学病院でしか受けられなかった治療を、こちらで受けられるように手配しましょうと対応してくださったのです。
そのおかげでAちゃんとお母さんは同じ病院に入院し、治療を受けることができるようになりました。ご家族の負担も非常に軽くなったのです。
そうして過ごしていたのですが、残念ながらお母さんの状態は日々刻々と悪化し、とうとうお別れの時が来てしまったのです。
母亡き後の家族
お母さんが亡くなり、Aちゃんはお父さんとお姉ちゃんと3人家族になりました。そう。Aちゃんにはお姉ちゃんがいるのです。
上述のとおり、この病気は遺伝性の難病です。女性はほぼ発症しませんが、遺伝子を引継ぎ、自分の子供にその遺伝子を渡します。子供が男児だった場合は高確率で発症し、女児だった場合はまた引き継ぐ可能性が高くなります。
ちょうど思春期のお姉ちゃん。支えだった母親を亡くし、しばらく塞ぎ込むような生活をされていました。自身の将来の結婚や出産など、不安な部分が大きいけれど、誰にも相談することができない。そんな状況だったのだと思います。しばらくして外出先でお姉ちゃんを見かけた際に、少し元気な様子だったことが印象的でした。
その後Aちゃんは徐々に病気が進行し、自宅生活が困難となり、入院生活となりました。
お父さんとお姉ちゃんは、自宅で生活しています。
風の噂では、Aちゃんは今はお空のお母さんと暮らしていると聞いています。
病気の残酷さ
難病に限らず病気は数え切れないほどたくさんあります。しかしこの遺伝性疾患ほど、家族の心を狂わせるものはないのではないかと、時々思います。
自分自身に降り注ぐ病気。それだけでも悲しいけれど、それを大好きな親から引き受けてしまった悲しみ、またそれを次の世代に引き継ぐことへの恐怖。
難病の研究は終わりがないともいいます。1つ原因がわかり治療法が解明されたとしても、また新たな難病が見つかる。いたちごっこだと聞いたことがあります。
私はAちゃんの担当ではありませんでした。Aちゃん家族は私のことは知りません。ただ、環境的にいろいろな方から相談を受ける中で知っていただけの、赤の他人です。
けれどそんな私でも、Aちゃんのご家族が気になっています。Aちゃんのご家族が、今どんな暮らしをしているかは私にはわかりません。しかし、笑顔で暮らしていて欲しい。そう思っています。
家族や身近な支援者だけではなく、こんな通りすがりの人間でも、気にかけている人がいる。人の支えとは本当はそういうものなのかもしれません。
【長岡菜都子(だんらんコーディネーター)】
リハビリテーション専門職である言語聴覚士の国家資格を所有。病院勤務を経て、訪問看護ステーションに入職。以後12年間で、訪問リハビリテーションを学ぶ。対象は乳幼児から高齢者まで幅広く、病気や障害を抱えながらも、にいかにして家族とともに充実した温かい生活を送れるかにこだわり、支援している。
現在は病気や障害を抱える当事者に対し、『個別』ではなく、家庭や関係施設へ『戸別』に訪問し、主に「はなすこと」「たべること」に関する、赤ちゃんの育み支援、こどもの学び支援、成人・高齢者の生活支援を行っている。
その他、医療・福祉・介護・教育施設等への外部講師等も行い、「はなすこと」「たべること」のバリアフリーを目指し活動中。
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