【びぃどろ日記】宣言!私、お母さんやめます!!

私には子どもがいます。子育てをするということは幸せなことではありますが、やはり時々「しんどいな」と思うこともあります。

先日、医療的ケア児Aくんののご自宅へ戸別訪問をしました。以前から何度も訪問している方ではありますが、今回は久しぶりの訪問。その訪問の帰り際、お母さんとちょっとした話題。「母親をやめる」ということ。

今日はそのお話。

医療的ケア児を育てるということ

このAくんは、医療的なケアが必要ではありますが、全身状態は安定しており、元気に家庭や通所での生活を楽しんでいます。

Aくんのお母さんも非常にアクティブで、医療的ケア児を抱えながらも活発に社会に出ていらっしゃいます。もちろん悩まれることも日々あるのだろうとは思うのですが、それでも前向きに生活されている、ステキなお母さんです。

医療的ケア児はもちろんですが、やはり何かしら配慮を必要とするお子さんを抱えると、日々選択の連続になります。「この治療をすべきか」「この薬をのませるか」「今日は通所にいくか」など、小さいことから大きなことまで、お子さんが体調の変動をきたすことなく安定して過ごせるよう、日々気をつけなければいけません。

そうしているうちにお母さんが疲れてしまう…ということがしばしば見られます。

母じゃない時間

このAくんのお母さん。パートの仕事を始めました。医療的ケア児を抱え、ケアの隙間時間に仕事をするというのは非常に大変です。お子さんの体調によっては、急に呼び出されたり、万が一入院になった場合は、仕事をキャンセルしなければなりません。

そう言ったことを考えると、ただでさえ医療的ケア児を抱えて忙しいお母さんの生活に、仕事まで加わる、より慌ただしくなってしまい、お母さんが疲弊してしまうのではないか?と心配になるのです。

ところがパートを始めてからのお母さんは生き生きとしています。そう、生き生きとしているのです。どうしてかわかりますか?

母じゃない時間が作れるからなんです。

Aくんのママじゃない、ひとりの私

子どもがいると「◯◯くんのママ」と呼ばれることが増えます。私もそうです「◯◯のお母さん」と呼ばれることがしばしばあります。それもひとつの幸せではありますが、それがほとんどになったとき、人は自分を見失う感覚になるのです。

とくに女性はアイデンティティが増えることに幸せを感じるんだとか。

母親としての自分
娘としての自分
姉としての自分
妹としての自分
妻としての自分

ここに仕事が加わることで

同僚としての自分
部下としての自分
先輩としての自分

など、「家族から離れた自分」が加わるのです。

社会に必要とされる喜び

人が家族の一員として生活することはとても身近であり、あたりまえとも言えることです。しかし女性の場合、母になると母としての部分が多くなります。あたりまえであり仕方ないことでもあるのですが、自分のアイデンティティを減らして、母としてのボリュームが増えると、だんだんと「社会に必要とされていない自分」を感じることがあります。

私もまさにそうでした。

私は妊娠中は切迫流産・切迫早産で、出産予定日の半年も前から寝たきり状態であり、すぐに仕事も休業。家事もできない状態でした。そうなると、「仕事での私」はもちろん「妻としての私」もできなくなる感覚に襲われました。

出産後は母親となり、今度はそのボリュームが増えることで、やっぱりなかなか「仕事での私」を取り戻せない。それにストレスを感じたことが有るのも事実です。とはいえこれは、子どもの成長とともに手が離れるようになり、徐々に取り戻すことができます。

しかし医療的ケア児のお母さんの場合はどうでしょう?子どもの成長とともに手がかからなくなれば、取り戻せる部分もおありますが、むしろ成長してもケアが必要であり、離れることができ無いことが多く、「仕事での私」つまりは「社会に必要とされる私」を取り戻せないまま日々すごしていかれる方が多いのです。

そこにきてAくんのお母さんの「パートを始めました」。ね?「社会に必要とされる私」を取り戻す第一歩なんです。

母親じゃない私の時間がほしい

Aくんのお母さんがこんなことを言いました。

「こんな事言うとだめかも知れませんが、Aくんの母親じゃない、一人の職場の人間として過ごせるのが楽なんです」

そう、いいじゃないですか?あたりまえじゃないですか?わたしはそんなお母さんの考えを応援してますよ。そうお答えしました。

そして帰り際に
「そう言えば、長岡さん、うちに来ている間はお子さんどうしてるんですか?」
「あぁ、祖母です(笑)たまには私も母親じゃなくて仕事としての“長岡さん”でありたいですしね」

そう、Aくんのお母さんも私も同じ。誰だって、母親であることの幸せを感じるためには、母親以外の自分も充実したものでありたいのです
そう2人で笑い合い、訪問を終了しました。

母親として私も失格なのかもしれません。けど訪問後、急いで帰宅し、子どもたちに「ただいま!」と笑顔で言えることが、一番大切なこと。

働く母だって、そうじゃない母だって、ひとりの女性として輝きたい。
子どもがいるから、女性としても輝ける。

わたしは医療的ケア児のお母さんが少しでもケアに謀殺されることなく生き生きと過ごせる未来を作りたい。そう言う思いで独立をしました。そのためにはまず私が、自分のアイデンティティを大切にして輝いていきたいし、Aくんのお母さんのような社会的に自立したお母さんが少しでの増えてほしい。そしてそれを応援したい。

まだまだ私にできる支援はたくさんあるのだと、そんなことを思えた訪問。だんらんコーディネーターとしての訪問が、またひとつたのしみになったのです。

【長岡菜都子(だんらんコーディネーター)】
リハビリテーション専門職である言語聴覚士の国家資格を所有。病院勤務を経て、訪問看護ステーションに入職。以後12年間で、訪問リハビリテーションを学ぶ。対象は乳幼児から高齢者まで幅広く、病気や障害を抱えながらも、にいかにして家族とともに充実した温かい生活を送れるかにこだわり、支援している。
現在は病気や障害を抱える当事者に対し、『個別』ではなく、家庭や関係施設へ『戸別』に訪問し、主に「はなすこと」「たべること」に関する、赤ちゃんの育み支援、こどもの学び支援、成人・高齢者の生活支援を行っている。
その他、医療・福祉・介護・教育施設等への外部講師等も行い、「はなすこと」「たべること」のバリアフリーを目指し活動中。