【びぃどろ日記】行動が制限される

新型コロナウイルスの感染が世界的に問題になっています。先日WHOより、この新型コロナウイルスの流行が「パンデミック」にあるとの発表がなされました。

今日はそこからの雑感を。

生活しにくい

私には子供がいます。在宅ワークが多く、祖父母もいるため、子供たちは今月から自宅で生活をしています。

こどもは体を動かすことも仕事ですから、出来る限り外遊びをと思っても、人混みを避けたり友人との交流や習い事なども最小限ですから、いろいろと制限も多く、結局は「のびのびと」とはいかない現状があります。公園遊びなども行きますが、兄弟だけであそばせるので、友だちと遊べない物足りなさもある様子。そりゃそうですよね。

大人も同様で、人が集まるイベントは中止や延期が多くなりました。

5月に私が暮らす山口県下関市で開催予定だった「保育保健学会」も、やや早いタイミングではありますが既に中止が決定しました。この学会には私の地元(関東)の友人が来ることになっていて、なんと20年ぶりの再会を果たす予定だったのに(涙)

こうしてみると、人と会うなどのいわゆる「社会活動」が制限されることは、正直しんどいと感じている今日このごろ。これは大人も子供も高齢者も、きっと誰でも同じ。

社会活動ができないこと

そう思うと、社会活動がこうして一時的に制限されただけの私たちでさえ「しんどいな」と思うのですから、この制限が普段からしかも無期限である人は、本当につらいものだな、と思えたのです。

そう、私達セラピストが対面する、利用者さん・患者さんの多くが、この社会活動の制限があるのではないでしょうか?

私達言語聴覚士が出会う対象者さんの多くが、コミュニケーション障害を患っています。コミュニケーションというものが阻害されると、人は社会活動への制限強く出てしまいます。

もちろんうまく話せなくても精力的に、社会活動を営む方もいらっしゃいます。けれどきっと多くはない。そうなると、私達が今回の新型コロナウイルス騒動で感じている身動きの取りにくさを思うと、これを四六時中抱えている人たちを見た時に、見る視点が変わるな、と感じたのです。

社会活動の大切さ

社会活動といっても、その内容は人それぞれ。その目的も人それぞれです。

だからこそ、そのひとが満足できる程度の分量で内容でできなくなったときに、人は社会からの疎外感を感じるのだと思うのです。

スーパーに行く。これ一つをとっても、主婦からしたら日々のこと。子供からしたらおやつ買ってもらえる楽しいこと。パパからしたら、ちょっと面倒くさいこと。みたいになるかもしれません。

そう思うと、人が 日々を当たり前なことをして過ごせるいうのは、当たり前ではなく特別なことと感じますね。

私にとって日常ってなんだろう?毎朝決まった時間に起きて、メイクして本を読む。お弁当と朝食を作って家族を起こして、いただきますと言ってみんなで食卓を囲む。家族が出発した後は掃除をして、自分の仕事にとりかかる。スーパーに行って夕飯の準備をして・・・。

私の趣味はミシンで、手芸屋さんで材料を物色したり、花屋で花を買ったり、本屋で本を買ったり。

ときどき仕事の合間に友人とランチをして。

そんな普通の日常を普通のままに過ごすには、自分自身が健康であること、家族が健康であること、友人が健康であること、災害に遭っていないこと、周りにある沢山の風景が、昨日と同じように回っていること。

これらがそろって初めて生活を営めるのだな、と改めて感じたのです。

今のこの張り詰めた生活が、少しでも早く落ち着きを取り戻しますように。そんな願いを込めて。

【長岡菜都子(だんらんコーディネーター)】
リハビリテーション専門職である言語聴覚士の国家資格を所有。病院勤務を経て、訪問看護ステーションに入職。以後12年間で、訪問リハビリテーションを学ぶ。対象は乳幼児から高齢者まで幅広く、病気や障害を抱えながらも、にいかにして家族とともに充実した温かい生活を送れるかにこだわり、支援している。
現在は病気や障害を抱える当事者に対し、『個別』ではなく、家庭や関係施設へ『戸別』に訪問し、主に「はなすこと」「たべること」に関する、赤ちゃんの育み支援、こどもの学び支援、成人・高齢者の生活支援を行っている。
その他、医療・福祉・介護・教育施設等への外部講師等も行い、「はなすこと」「たべること」のバリアフリーを目指し活動中。