【びぃどろ日記】ワーキングマザーである私

私は言語聴覚士の資格を持っています。この業種では珍しく(?)、夫婦で言語聴覚士です。私の周りは…かもしれませんが、リハ職って同業者での結婚が多いのかな?と思っています。そうなると、収入等の観点からも共働き世帯が多くなる印象があります。今日はちょっと、共働きについての雑記を。

育児が仕事への罪悪感のタネ?

私には子どもがいますが、どの子も産休と育児休暇1年取得し、元の職場へ復帰しています。

どの子の妊娠出産時も、仕事をやめるという選択肢はありませんでした。金銭的な部分もありますが、純粋に言語聴覚士の仕事が好きだし、数年の育児のために人生の軸となる仕事をやめる必要性はないな、と感じたからです。

ただ育児休暇から明けるときは、大なり小なり気が重くなったりしたのも事実です。可愛い子どもを保育園に預けてまで仕事する意味あるのかな?なんて思うことも多かったです。

私たち夫婦は上述の通り、同業者です。ですから県士会のイベントや各種研修、学会…全て重なります。そうなると、子どものことを考えたとき、主人が仕事、私が子守というのが当たり前の構図となります。そのこと自体に不満はなく、子どもたちと過ごすことに抵抗とかはありませんでしたが、何より強いのが罪悪感。…え?誰に?

「専門職」という、言葉に対してです。

自己研鑽を積まないと

自己研鑽を積まなければ、なかなか認めてもらえないこの業界。研修、学会、研究…勤勉勤労。もちろん、私も自分が患者さんの立場であれば、真面目に勉強し、常に新しいことを学び続けているセラピストがいいと思うはずです。
けれど、実際育児をしていると、本当に自分のための外出ができないという現実があり、研修ひとつ行くのもやっと、行くためのお金があれば、子どもに服でも買ってあげたい、そう思えるものです。

そんなわけで、育児をしていると、もうこのリハビリテーションの業界では私は役立たずなんだな、なんて思えてきたのです。

SNSを開くと、多くのセラピストの先輩方が「学会発表をしました!」「研修に参加しました!」「認定資格とりました!」などなど、そんな話ばかり。私はそういうことをすることもできないし、する気もあまりなくなって行きました。

育児と家事に忙殺される

リハの仕事をしていると、本当にすごい人っていっぱいいます。こんなにも科学的に分析して訓練を提供できるなんて、本当に素晴らしいなと思いますし、そんな方々を見ると、担当してもらう患者さんは幸せだなと思うのです。
それに対して、ほとんど研修に参加することもできず、5時ダッシュで保育園へお迎えに行って、ご飯作って食べさせて、風呂入れて、寝かしつけて、洗濯物して、ホッと一息つくのは既に夜中10時で。朝も5時から弁当やら朝食作って、子どもたちの身支度と送り出し、掃除機かけられれば上等!なんて生活を送る私の訓練なんて…。

罪悪感が積もっていくのですね。
それは仕事への愛着が薄らぐことを意味します。その状態で仕事するのは、本当に苦しいものです。

訓練スタイルの変化

そのため、早々に勤勉を放棄した私。どうせ学会発表なんてできないし、研修だって行けないし、認定とるなんて非現実的。

『じゃあ、たいした機能訓練はできないんだし、自由にやろう』

そう腹をくくってから、私の訓練スタイルが変化していったのです。

嚥下障害で依頼がきた利用者さん。病院だったら嚥下機能訓練で1時間費やしていたであろう能力だったのですが、奥さんへの調理指導をすることにしました。主婦で料理好きの私には、そちらの方がしっかりできるからです。結果、奥さんが嚥下食を大変丁寧に作られるようになり、食卓を夫婦で囲めるようになっているではないですか。

発達訓練で依頼がきた利用者さん。訪問すると爆睡。何をしても起きません。病院の訓練だったら「出直します」って言いますが、お母さんと触覚刺入力のための教材づくりをすることに。訪問終了時間ギリギリになって本人が起床したので、使い方を本人・お母さんへ指導しセッション終了。翌週、その教材を使いこなしているではないですか。

そう、私たちの仕事って、こんなこともできるんだと気が付いたんです。

一歩、踏み込んでくれる

私が利用者さんに提供していることは、『科学的』ではないのかもしれません。もちろんST養成大学で学んだこと、専門書や雑誌で学んだこと、行ける範囲で研修に参加して学んだことは積極的に取り入れていますし、根拠ないことばかりをしているわけではありません。けれど、やっていることを研究として発表!とかできるほどのことでもありません。

私が提供していることはごくごく普通のこと、言うなれば、科学的ではなく『生活的』なことなのです。

「食べられない」という問題点には「嚥下能力の回復を」という意味もありますが「家族で食卓を囲みたい」という意味もあります。前者に対して一流のアプローチはできないけれど、後者に対してはできる、そう思えるようになったのです。
そう、利用者さんの現在の機能・能力を評価して、そこを大きく回復させるほどのゴットハンドは持ち合わせていないけれど、その力でどうやって生活していくかを考えて生活面にアプローチすることは、生活を大切にしている私にはできるんだ。そう気が付いたのです。

ある日、利用者さんのお母さんから言われたことが、今でも私の支えになっています。

『長岡さんはね、一歩踏み込んでくれるんですよね。「食べさせたい」って言った時、能力とかも見てくれるし訓練もしてくれるけど、「今日何をどうやって食べようか」と今の生活に一歩踏み込んで、変えようとしてくれる。』

働くママになり、言語聴覚士としての成長は、非常に遅れを取っているかもしれません。残念ながらゴットハンドを得られるほど勉強して、スーパーSTになることはありません。けれど、リハビリテーションについて考える力は、前に前に進んだと思えるのです。

「はなすこと」「たべること」この支援の接頭語に「誰と」ということばを置きたい。
「だんらんを作ること」が私の目標です。

やっぱり私には「言語聴覚士」より「だんらんコーディネーター」の方が、合っているのかも知れません(笑)

そう思うと、働くママSTも悪くないなと思えるのです。
家事・育児を経験させてくれた、家族の存在がありがたいのです。

【長岡菜都子(だんらんコーディネーター)】
リハビリテーション専門職である言語聴覚士の国家資格を所有。病院勤務を経て、訪問看護ステーションに入職。以後12年間で、訪問リハビリテーションを学ぶ。対象は乳幼児から高齢者まで幅広く、病気や障害を抱えながらも、にいかにして家族とともに充実した温かい生活を送れるかにこだわり、支援している。
現在は病気や障害を抱える当事者に対し、『個別』ではなく、家庭や関係施設へ『戸別』に訪問し、主に「はなすこと」「たべること」に関する、赤ちゃんの育み支援、こどもの学び支援、成人・高齢者の生活支援を行っている。
その他、医療・福祉・介護・教育施設等への外部講師等も行い、「はなすこと」「たべること」のバリアフリーを目指し活動中。