【びぃどろ講座】トイレくらい行かせてよ!

育児にしろ介護にしろ、自分以外の「誰か」のケアに追われるというものは、ハッキリとは言いにくいですが、ストレスを感じるものです。今日はそのストレスの正体についてのお話。

育児ストレス

最近は育メンとかもメジャーな単語としてありますし、わずかではありますが男性も育児休暇を取得しましょう、なんて動きもあるし、昔と比べたら、男性の育児参加率は高いのかもしれません。かくいう私の主人も、育児には積極的な方なので、そういう点で不満があるわけではありません。ですが、何れにしてもなんか女性の育児の大変さってなかなか表現できない部分がありますね。

以前読んだ記事で、私が納得したことを今日はご紹介。

育児・介護と仕事の違い

育児中って、母親はトイレや自分の食事もままならない、ということありますよね。世間一般の社会人男性からしたら「自分たちだって、ご飯の時間削って仕事している」と思う部分もあるので、そこに苛立ちを感じては行けない・・・そんなことを感じるかもしれません。

けれど、そこが違うのです

確かに仕事をしていても、育児をしていても「自分のご飯は後回し」「トイレもちょっと我慢」ってことありますよね。一見同じように見えるんですが、少し意味が違います。

仕事でこれらの「食事」や「トイレ」を我慢する場合って「中断」は少ないんです。食べたくても「後回し」、行きたくても「後回し」、なんですね。
けれど育児の場合、「食べようとしたら中断」「トイレに入ったら中断」なんです。この中断って、すごくストレスになるな、と感じるんです

中断によるストレス

例えば仕事で会議があったとします。会議が延長し、お昼ご飯が後ろ倒し。午後の仕事も詰まってるから急いで食べないと!…なんてことありますよね?これは確かにストレスです。けれど、食べることはできます。たとえ食べられないとしても、時間を見て「ここまでにしよう」とコントロールできます。これは「中断」ではなく「完了」「終了」になるのです。この「中断」と「終了」の違いってなんでしょうか?

育児に追われるママの場合、食べ始めは子供様子みてどうにか開始。ところが泣くので、強制的に中断。そのまま。ということがしばしばあります。この場合の「中断」って、上述の「完了」「終了」ではなく「未完了」なんですね。これはすごく消化不良な気分になるんですね。

この2種類の「中断」を比較すると、どういう違いがあるのかというと、そこに「自己決定」があるかどうか、なんですね。

小さな自己決定

これはもちろん育児中のお母さんの話だけではありません。介護にも通じる話です。

人は基本的には自分のために自分の人生を歩むことを求めているはずです。生活のなかでごく小さなことでも自己決定をくりかえします。「今日のご飯何にしようかな」「次はあそこにいこうかな」「今日は疲れてるから早めに寝よう」など。もっと細かく言うと「寝返りしよう」「顔を洗う温度は何度にしよう」そんな些細なこともです。

そして生活の中で、それらの気持ちと周囲の人との関わりを考慮し、やるべきことや感情をコントロールしながら、人の暮らしと自分の暮らしのバランスを考えているわけですね。ですが育児や介護など「自分以外の誰か」の状態に左右されながら生活をすることになると、食べることやトイレなどどの基本的な活動でさえも、「自分以外の誰か」によって「中断」させられたり「我慢」を仕入れられることになるのです。

そう思うと「介護者」や「療育者」というものは、本当にストレスがたまります。そして、そのストレスがたまる原因が「自分以外の誰か」とくに「大切な人」にあるので、口に出しにくい、という現実もあります。

コミュニケーション障害者のストレス

そう考えると、介護される側の方にコミュニケーション障害があるばあいも同様なことがおきるんです。本人が、意思を十分に表現できない場合、自己決定したくてもできない、という状況になります。

これは介護される側の強いストレスの素になるのです。

「トイレに行きたい」、「ベッドの角度を変えたい」、「姿勢を整えたい」などの要求も伝えることができなければストレスとなります。それが、上述の快不快に関わるものだけならまだしも、「車椅子から落ちそう」「窒息しそう」など、恐怖と連動しているものの場合はなおさらストレスが強まります。

このように自己決定できないことは、いろいろなストレスを産むのです。

コミュニケーションの専門家として

言語聴覚士はコミュニケーションの専門家といっていますが、そうはいってもこういう問題を解決することは難しいものです。

大学時代にこんなエピソードが。
大学病院に入院中のALS患者さんに対して、コミュニケーションのボランティアをして欲しいと言われたんですね。数名の学生が時間を決めて、入れ替わり病室に付き添い、透明な文字盤を使ったコミュニケーションをとり、「看護師さん呼んで」「口が渇いてる」とかを聞き取るんです。
数週間そんなボランティアをした後退院されたのですが、後日教授からこんなお話が。
「あの患者さんは、入れ替わり立ち替わり知らない学生がきて、ずっと「何かありますか?」と聞いてきては透明文字盤で話すことになり、それもストレスだったのか胃に穴があきました」と。

え・・・(゜Д゜)

「けれど、未来ある学生さんが、これからさき言語聴覚士になって、この経験が活きてくれれば良いですね、とおっしゃっていましたよ」との言葉でした。

結局は人と人の関わり
無関心はよくないけれど
過干渉もよくない

介護も育児も日常も
すべて同じなのかもしれません。

相手にとって必要な介入方法を常に考えないと行けないのでしょうね。

【長岡菜都子(だんらんコーディネーター)】
リハビリテーション専門職である言語聴覚士の国家資格を所有。病院勤務を経て、訪問看護ステーションに入職。以後12年間で、訪問リハビリテーションを学ぶ。対象は乳幼児から高齢者まで幅広く、病気や障害を抱えながらも、にいかにして家族とともに充実した温かい生活を送れるかにこだわり、支援している。
現在は病気や障害を抱える当事者に対し、『個別』ではなく、家庭や関係施設へ『戸別』に訪問し、主に「はなすこと」「たべること」に関する、赤ちゃんの育み支援、こどもの学び支援、成人・高齢者の生活支援を行っている。
その他、医療・福祉・介護・教育施設等への外部講師等も行い、「はなすこと」「たべること」のバリアフリーを目指し活動中。