【びぃどろ日記】リハビリテーションってなに?

私のブログをご覧になっている方の中には、PT・OT・STなどの職種の方がいらっしゃると思います。皆さんの考える「リハビリテーション」って、何ですか?

私にとって『リハビリテーション』とは、『自由に生きること』だと考えています。

その考えのもとになったのが、高校時代の体験談。先日参加したイベント()で、そのことを鮮明に思い出したので、今日はそのお話を・・・。

ちょっと変わった県立高校

私は埼玉県の普通の県立高校出身です。普通なのですが、当時はいろいろと話題となり、全国的に報道されるなど、一時的に有名になった学校でした。

この高校は生徒の自治活動が非常に盛んで、生徒の人権を守るために『生徒会権利章典』がありました。そして、憲法にある基本的人権の尊重や、子どもの権利条約に則って、私たちの自由を守るということを、学校全体で認められた、そんな学校でした。
しかしある年に、生徒総会と職員会議で承認された議案が、教育委員会と学校長により覆され、これが人権侵害に当たるということとなり、活動を起こしたため、全国的に報道されたのです。

自由とは何か?を学ぶ

とはいえ、これは私の入学前〜1年生くらいの頃の出来事なので、私が何かマスコミに取り上げられる活動をしていた、ということはなく、HR委員長をしていた程度だったので、生徒の間では多少(?)目立ってはいましたが、本当に普通のごく一般的な生徒をしていました。ただ、私なりにその学校生活の中で、「人権侵害ってなんだろう?」「自由って何だろう?」ということを学ぶ時間を多く得ることになりました。

そして私が高校時代に大変心動かされたのが「自由の定義」についてでした。

自由の定義

「自由」ってなんだと思いますか?
私はこの高校に入学する前は、大して考えていませんでした。ただ単に「好きなようにできる」とか「のびのびとしてる」とか、その程度の認識でした。

上述の通り私の高校には「生徒会権利章典」があり、生徒の自治確立や権利保護のために、何度も憲法や子どもの権利条約を勉強する時間がありました。そこで学んだ「自由の定義」
それは・・・

「自由とは、多くの権利を持っており、それを自分の意思で行使できること」

権利を行使するって?

だんだん堅苦しい話になってきました(^_^;)

私たちの生活にはたくさんの自己決定があります。朝起きて、着替えて身支度して、ご飯を食べて、学校や仕事に向かう。その中でも「何を着ようかな?」「何を食べようかな?」「喉が渇いたから水飲もう」「喉がイガイガするからうがいしよう」「お腹が痛いからトイレに行こう」「今日はこの靴を履こう」「今日はこの道を通って仕事に行こう」など・・・このどれでも、私たちは選択する権利を持っているんです。この権利を、自分の意思で実行できる。これが「権利の行使」であり『自由』なんですね。

じゃあ、義務って?

そしてもう一つ。権利の裏側にあることばである「義務」はなんでしょうか?

権利を行使する上で忘れてはいけないことがあるんです。「使われない権利は淘汰される」ということ。使われないものなんだから、不要なもの。じゃあ、そんな権利は残しておく必要ないですもんね。

例えば、あなたの前にりんごが1つあったとき、「自由に食べていいですよ」と言われたとします。しかし食べません。誰も「食べる」という権利を行使しません。するとどうなるでしょう?腐りますね。そうなると、「りんごを食べる」という権利は消失することになります。それを繰り返すうちに、もうりんごはもらえなくなりますね。

「権利を行使できる」これは「自由」です。しかしそれを守るためには「必要な権利は行使しなければならない」という「義務」が伴うのです。

自由とリハビリテーションの関係

「必要な権利は行使しなければならない」という「義務」があることはわかりました。でも、年齢的に幼かったり、病気や障害を抱えて、そもそも行使する能力がない場合どうなるんでしょうか?

「何を食べたい?」と聞かれて、私たちは自由に食べたいものが選べます。
しかしまだ話せない赤ちゃんや、ことばの障害を持つ人は、それを伝える術がありません。では、彼らの食事を選択する権利は、無くなっても良いのでしょうか?
そんなはずはありません。

私は言語聴覚士という資格を持っています。リハビリテーション専門職です。リハビリテーションを日本語に直すと「全人間的復権」です。

リハビリテーションの本質は、それぞれの事情により、権利を行使する能力を持っていない人の権利が淘汰されていかないよう、その権利を行使できるように支援することなんだと思っています。

「リハビリテーション」は「自由に生きること」です。それを私は支援する。

「リハビリテーション」という言葉に対しては、人により、それぞれの解釈があるのだと思っています。ただ、自分にとっての「リハビリテーション」が何なのか。そういった、自身の考えの軸や本質を忘れずに過ごすことが、この仕事には必要だと感じているんです。

自分の「リハビリテーション」に対しての認識が明確な分、病院や訪問看護ステーションなどの枠組みでは、それを達成できないと感じたため独立をしました。
今はただ『だんらんコーディネーター』として活動していて、どんどん動画やらブログやら言語聴覚士の仕事からはかけ離れていっていますが、私の考えるリハビリテーションの本質はぶれていないため、自由に仕事ができてるなと感じます。

高校時代にあんなに権利について学んだことが、まさか今頃になって自分の心に広がるとは考えていなかったのが本音です。けれど、あの時間があったからこそ、リハビリテーションについて考えられるようになったのだと思うと、あのころの私に感謝したいな、と思うのです。

だらだらと雑記になりますが、リハビリテーションの本質について、ときどき思い出すことが必要と感じる日々。

毎日の出会いに、感謝。

【長岡菜都子(だんらんコーディネーター)】
リハビリテーション専門職である言語聴覚士の国家資格を所有。病院勤務を経て、訪問看護ステーションに入職。以後12年間で、訪問リハビリテーションを学ぶ。対象は乳幼児から高齢者まで幅広く、病気や障害を抱えながらも、にいかにして家族とともに充実した温かい生活を送れるかにこだわり、支援している。
現在は病気や障害を抱える当事者に対し、『個別』ではなく、家庭や関係施設へ『戸別』に訪問し、主に「はなすこと」「たべること」に関する、赤ちゃんの育み支援、こどもの学び支援、成人・高齢者の生活支援を行っている。
その他、医療・福祉・介護・教育施設等への外部講師等も行い、「はなすこと」「たべること」のバリアフリーを目指し活動中。